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落ち穂拾い(4)オリガ公女と、オリガの名前の由来
久しぶりの「落ち穂拾い」です。
ここでは、オリガ・ペトローワの名前にまつわる悲劇的な話と、キエフ・ルーシ時代に活躍した才色兼備の女傑、「オリガ公女」の壮絶な生き様についてのお話を復活させました。
ここでは、オリガ・ペトローワの名前にまつわる悲劇的な話と、キエフ・ルーシ時代に活躍した才色兼備の女傑、「オリガ公女」の壮絶な生き様についてのお話を復活させました。
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落ち穂拾い(3)[ウクライナのロビン・フッド]
目下、日本でもまたロビン・フッドの映画が上映されていますね。今度のロビン・フッド(ラッセル・クロウ)は、よく知られた「シャーウッドの義賊」とはひと味違ったロビン・フッド像でしたが、もちろん「ロビン・フッド」は時代を超え、地域を越えて作りあげられたイングランド民衆の英雄像なので、いろんな時代に、いろんなロビン・フッドが活躍しても、不思議ではないのです。
ところで、ウクライナにもロビン・フッドがいたのですよ。
カーミャネチ・ポジリシキー城に行ったときに、私はそこに長年幽閉されていたという「ウクライナのロビン・フッド」こと、ウスチム・カルマリュクのことを聞きました。
それは119世紀初頭、コサックの自治権がロシアのエカテリーナ二世によって完全に押さえこまれ、カーミャネチのあるポジリア地方がロシアの領土になった時代のことです……。

鎖につながれたカルマリューク像
ところで、ウクライナにもロビン・フッドがいたのですよ。
カーミャネチ・ポジリシキー城に行ったときに、私はそこに長年幽閉されていたという「ウクライナのロビン・フッド」こと、ウスチム・カルマリュクのことを聞きました。
それは119世紀初頭、コサックの自治権がロシアのエカテリーナ二世によって完全に押さえこまれ、カーミャネチのあるポジリア地方がロシアの領土になった時代のことです……。

鎖につながれたカルマリューク像
落ち穂拾い(2) 「ウクライナの民衆イコン」
落ち穂拾い「イワン・クパーロ」
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